S_a_k_Uの日記みたいなDB

~サクゥーと呼ばないで~

移動を兼ねて神社めぐり

天気が悪そうなので、滑るのを止めて、白馬−野沢間の移動で、いつも気になってた戸隠神社を歩き回ってみた。

鬼無里神社

その手前の立派な鳥居が気なってた。

「郷社」ってのが消されてるけど…と思ったら、昔?戦前?の神社のクラスみたいなものなのか。
WikiPedia > 近代社格制度 > 2 分類 > 2.2 諸社

当初、郷社は社格であると同時に、ある特定の行政機能を持つ神社でもあった。それは氏子調における中心となる神社で、江戸時代の宗門改の檀那寺に代わるものとして設定された。出生や住所の移動の際には守札の発行などを受けなければならなかった。通常の意味での社格とは異なるため、官国幣社や府県社でありながら郷社であるものもあった。


階段を上って、境内に入ったら、今度は六文銭???

鬼無里 紅葉伝説を訪ねて その2 鬼無里神社:高原でお会いしましょう:So-netブログ

後で知ったんですけど、江戸時代に鬼無里を知行していたのは松代藩の真田氏だったみたいで、ここの神社を篤く崇敬していたみたいです。

とのこと。

十二神社

鬼無里が湖だったころの伝承があるとか。
確かに盆地っぽく、土砂くずれなんかで自然ダムみたいな感じだったって言われても違和感ない感じの地形だわ。


お社の後ろには鳥居とその先には林の木々。ここにも何かあるんかい?

戸隠神社/中社

戸隠神社について | 戸隠神社 > 中社(ちゅうしゃ)
中社の鳥居。

鳥居から境内への階段。

まだ残雪があるよ。
 
そういやスーパーレビンのお守りの紐が切れてたことを思い出して、交通安全のお守りをゲット。

戸隠神社/中社から奥社へ

奥の院と越後道の分岐。


比丘尼石(ビクニイシ)
比丘尼(びくに)石の話 | 戸隠の神話 | 戸隠の歴史 | 戸隠神社


公明院って…まさか…
戸隠山 公明院
とか思いながら見てたけど、全然関係ないみたね。

左手のお堂は、不思議な形じゃなと思ったら、五角形じゃったんか。

裏から回って、萬国英霊宝筐印塔ってのを。

真ん中の絵は???馬?牛?的な動物に乗ってるのは???

その裏手にある像も、竜?鳥?的な動物に乗ってるちょっと怖い顔したのは???


稚児の塔。。。
稚児の塔|ふるさと昔話 | JAながの

戸隠神社/奥社

戸隠神社について | 戸隠神社 > 奥社(おくしゃ)
ここまでで30[分]以上歩いて、更に2[km]か!?と思いながら。
鳥居の横には「下馬」と。馬から下りて、歩いて参拝しろってことか。
 ]
鳥居くぐって、歩いてたら残雪が。

しばらくして随神門。


その後も杉並木の一本道で、その先から残雪が参道一面に。
 
鳥居から30分くらいで、やっと到着。

九頭龍社神社。こっちの方が木造でお社らしいw

奥社。コンクリート造りで残念感は否めないが、ここに建造物建てるのは大変なのはよく判ったw
 
あれが天岩戸の岩戸かな?とか思いながら。

帰り道は膝に注意しながら、滑らないようにかかとから地面に着く感じで歩いてみたり。
すれ違うカップルで女の子がサンダルとか履いてるのみて、「ぉいぉいそれで行くんか?マジで行くんか?」と思わずにいられんかった。
結局、パラパラする程度で傘さす必要もなく散策できたけど、3時間弱歩き回って結構疲れた(>_<)
それに、この程度の天気じゃったら滑ってもよかったかも!?とか。

宝光社と火之御子社はまた今度

戸隠へのアクセスと五社案内[JPEG]