S_a_k_Uの日記みたいなDB

~サクゥーと呼ばないで~

自分にとって(多分)必要だった、失われた社会資本

株とか始めて、経済や金融のこと知らないな、って思う訳です。
日本では資本主義経済という基盤で社会が成り立っている割に、学校で勉強しないしね。
数年前から、Eテレピース又吉がMCの「オイコノミア」って経済学の番組やってるので、それ見ながら…っても、経済学って実際の経済や金融とはちょっと距離があるんよな。
サンクコストや機会損失、損失回避バイアスやらいろんな用語が出てきたけど、それとは別のネットで見かけた記事が興味深かった。主旨はこんなの。

昔の子どもはガキ大将を中心としたようなコミュニティーで、自然に社会的な”教育”を受けることができた。その他にも公園や空き地では身体的に、虫取りや魚釣りでは創意工夫する力や新たな発見など、あらゆる場面で”教育”を受ける機会があった。
しかし、現在ではそれらが失われており、親は費用を払って、体操教室や親子体験学習などを通じて子どもにそれらの”教育”を受けさせる必要が出てきた。<<
費用を払ってサービスとして昔あった環境を実現しているのだから、それらは道路や病院、学校などの社会インフラと同じ社会資本だったのではないか?って話。

自分のこと考えたら、粗大ごみと住宅の建築現場がそれだった。
兄貴と一緒に、粗大ごみでラジカセとか拾っては、家で分解して、部品取り出して、何に使うでもなく、磁石とかで遊んでた。小学生の高学年くらいになると、スピーカーだけ取り出して音鳴らしたり、コーン紙に銀玉みたいなの置いて、振動させてみたり。ある時、スピーカーがマイクの代わりになることを知って、マイク端子に繋いで音が拾えた時に驚いたのは鮮明に覚えてる。同じようにモーターに豆電球繋いで光らせて「おおぉ」とか、「フレミングの左手の法則」を知ってしまえば、なんてことはないのに。
昔の住宅は現場で木を切ってたので、端材がいくらでもあった。一緒に住んでた爺さんは、そこからいろんなものもらってきては日曜大工でいろんなもの作ってた。自然に自分でも本棚作ったり、モーターで動く船作ったりして遊んでた。
資材置き場は、秘密基地の立地に最適だったしな。

自分が現代でその幼少期を過ごしていたら、どんな事を体験することになるんだろう?
分解されたラジカセとおもちゃにされたスピーカーがなかったら、オーディオに興味持たなかった可能性高いよなぁ~そもそも、オーディオに興味持つ必要性があったかどうか判んないけど。

と思ったことを思い出した。